平成26年1月27日
学校法人 大阪医科大学
学校法人 高槻高等学校
学校法人大阪医科大学と学校法人高槻高等学校の合併認可
学校法人大阪医科大学(大阪府高槻市)と学校法人高槻高等学校(大阪府高槻市)は、平成26年4月1日を期日として両学校法人を合併することについて、平 成25年11月1日に大阪府経由で文部科学省に合併申請を行い、平成26年1月23日付で文部科学大臣の認可を得ました。
合併は平成26年4月1日を予定しており、合併後の法人名は「学校法人大阪医科大学」とし、法人内に大阪医科大学と高槻高等学校及び高槻中学校を設置することになります。
1 合併の主旨
我が国における著しい少子化によって教育機関を取り巻く経営環境は厳しさを増しています。18歳人口は現在123万人ですが、20~25年後には100万人、50年後には60万人と大きく減少することが予想されています。今後もこのような少子化の影響による経営環境の厳しさは加速すると予想され、国は学校法人に対して財政基盤等の強化を求め始めています。学校法人はある程度の経営規模を確保し、財政基盤を強化する必要があり合併等による経営規模の適正化や収益源の多様化を検討する時期に来ています。
その意味で、同じ高槻市にあって創立時より深い関係にあり、医科大学で全国有数の大阪医科大学と進学トップ校を目指す高槻高等学校は、共に経営が安定している今こそ、今後の経営を見据えた法人合併を行うことになりました。
2 合併による教学面の接続・融合の推進
学校教育においては、各段階における質の高い教育と相互の有機的な連携によって、生涯を通じて自ら学び考える力、課題探究・問題解決型能力、並びに社会に貢献する力をグローバルに育成することが求められています。特に高等学校教育、大学入学者選抜、大学教育は密接に関連し合い、高等学校教育の質の保証・大学入学者選抜の改善・大学教育の質の転換には、高等学校と大学における情報の密な交換が必要です。
しかしながら現時点では、高等学校教員が大学の実情を直接把握する機会は少なく、間接的な情報に頼り進路指導を行っているのが実情です。また大学教員が高等学校教育の現状を直接知る機会も少なく、学生の背景を十分に把握しないまま、入試成績をもとに学生の選抜を行い、手探りで準備教育や教養教育を行い専門教育につなげているのが現状です。
今回の法人合併により大阪医科大学と高槻高等学校の密な連携を構築し、教学面における高等学校と大学の教育の情報交換が実現することが期待されます。
3 想定される法人合併によるメリット
- 法人合併による財政規模の拡充(破綻等のリスクの低減)
- 収益源の多様化による経営の安定化
- 学校経営に関する情報源の多様化と多角的視点の獲得
- 校地・校舎・施設設備の融通による資産の有効活用
- 事務の統合及び校舎管理の一元化
- 大学と高等学校の教育の連携による教育の融和と連続性
- 高校における大学のアドミッションポリシーの理解と実現
- 法人合併による特色ある総合学園としてのブランド(広報)の強化
- COC(center of community)として地域社会への貢献
4 合併契約書の概要
- 平成26年4月1日合併後の存続法人は学校法人大阪医科大学となり、学校法人高槻高等学校は解散します。
- 実質的には対等合併です。
- 大阪医科大学、高槻高等学校・高槻中学校は校名を変更せず、そのまま存続します。
- 学校法人高槻高等学校の教職員は、合併をもって学校法人大阪医科大学の教職員となります。
5 今後の手続きについて
合併が認可されましたので、私立学校法第53条に定められた債権者保護手続き(公告・催告など)を実施し、平成26年4月1日合併にむけて、学校法人高槻高等学校の解散登記及び存続する学校法人大阪医科大学の変更登記を行います。
6 大阪医科大学と高槻高等学校のゆかり
学校法人大阪医科大学(旧財団法人大阪高等医学専門学校)と学校法人高槻高等学校(旧財団法人高槻中学校)は、設立以来の歴史を紐解くと、深い絆に結ばれてきた関係にあることが明らかです。
旧財団法人大阪高等医学専門学校は、昭和2年に吉津氏、太田氏、松島氏を中心に有田、藤堂の諸氏及び京阪電気鉄道株式会社、新京阪電気鉄道株式会社、地元有力者の支援を受けて、医師の養成により国内の医療の充実と医学の進歩を図ることを目的に設立されました。
その後、旧財団法人大阪高等医学専門学校の第二代理事長であった藤堂氏は、昭和15年に有田、坂野、佐竹の諸氏と相諮り、京阪電気鉄道株式会社、地元有力者の支援を得て、将来の我が国を支える優秀な人材を育成することを目的として、旧財団法人高槻中学校を設立し、旧財団法人大阪高等医学専門学校もその際に土地4千坪を寄付し、学校運営に必要な人的支援を行うなどの協力を行いました。このような創立時のゆかりにとどまらず、戦後も学校法人となった大阪医科大学は、様々な局面において、学校法人高槻高等学校に役員を派遣するなど、学校運営に協力をしてきました。
以 上