本校の歴史は、大阪府北部・北摂地域に中学校設立を求める地元の人々の熱い思いに応えるため、大阪高等医学専門学校(現 大阪医科薬科大学医学部)理事長の藤堂献三氏、初代高槻市長(第35・36代大阪府議会議長)の礒村彌右衞門氏、京阪電鉄取締役兼支配人の牲川角之助氏らの尽力によって文部省から旧制高槻中学校の設置が認可された1940(昭和15)年10月16日に遡ります。
創立時、教学の舵取り役には当時灘中学校教頭であった吉川昇先生が初代校長として迎えられ、翌年4月、磐手国民学校(現高槻市立磐手小学校)の校舎の一部を借用し、学舎として歩み始めました。1948(昭和23)年の学制改革後は高槻中学校と高槻高等学校を併設し、吉川校長提唱の「真面目に、強く、上品に」を校訓とし、私立進学校としてその地歩を固めてきました。
2020(令和2)年、本校は創立80周年を迎えました。現在は、六ヵ年完全中・高一貫の私立中学校・高等学校として特色ある教育活動を推進しています。これまでに本校を巣立った1万6千名の卒業生は、国内外の様々な分野で活躍しています。
- 大阪高等医学専門学校(のち大阪医科大学)開校
- 大阪高等医学専門学校が高槻市大学町に移転
- 旧制高槻中学校創立(10月16日)
- 初代理事長に藤堂献三先生就任
- 高槻中学校創立委員長は礒村彌右衛門高槻町長(のち市長)
- 高槻中学校開校(開校式は三島郡磐手国民学校にて挙行)
- 初代校長に吉川昇先生就任
- 学制改革により高槻中学校、高槻高等学校となる
- 第2代校長に北村八郎先生就任
- 第3代校長に松山凌三郎先生就任
- 第1回文化祭開催
- 槻友会(同窓会)発足
- 第2代理事長に田中忠彌先生就任
- 旧中学校校舎竣工(現在の東校舎)
- 旧高校校舎竣工
- 第4代校長に中村幸市先生就任
- 旧本館竣工
- 体育館、武道館・生徒食堂新築
- クラブ部室棟新築
- 創立45周年記念式典
- 創立50周年記念式典
- 第3代理事長に豊田庸先生就任
- 第5代校長に菅沼常生先生就任
- 第2体育館(卓球場)竣工(現・大阪医科大学城北キャンパス)
- 全教室に冷暖房完備
- 第4代理事長に田中忠彌先生就任
- 学習合宿(中学3年生対象)開始
- 夏期講習開始
- 中学校校舎竣工
- 創立60周年記念式典
- 第5代理事長に佐藤博之先生就任
- 第6代校長に岩井一先生就任
- 創立70周年記念式典
- 校歌制定
- 第6代理事長に植木實先生就任
- 全教室に電子黒板を設置
- 第1回ホームカミングデイ開催
- 学校法人大阪医科大学と法人合併
- 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定
- 3コース制(GL/GS/GA)導入
- 文部科学省スーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイト指定
- スタンフォード大学オンライン講座開始
- 日本英語検定協会より文部科学大臣賞団体賞(中学校)受賞
- 学校法人大阪薬科大学と合併し学校法人大阪医科薬科大学となる
- 文部科学省スーパーグローバルハイスクール指定
- テニスコート2面完成
- 多目的アリーナ竣工
- 南館(高校校舎)竣工
- 男女共学化開始
- 高校修学旅行がコース別研修旅行となる
- 第1回アクティブラーニング公開研究会開催
- 第7代校長に工藤剛先生就任
- 図書館・アクティブラーニングコモンズ・コナコピアホール竣工
- 「科学の甲子園ジュニア」(中学生)大阪府大会で優勝
- 文部科学省スーパーサイエンスハイスクール第2期指定
- 「科学の甲子園ジュニア」(中学生)大阪府予選で優勝
- 「科学の甲子園」(高校生)大阪府予選で優勝
- 新本館竣工